1986-09-09 第106回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号
古い話ですと倉石農林大臣とか小林法務大臣とか西村防衛庁長官とかいろいろあります。ですけれども、この方たちは全部辞任をしておられます。近くは中曽根内閣になってから平泉長官の問題とかあるいはまた渡辺通産大臣の毛針発言とかいろいろあったわけでございますけれども、このことは陳謝をなさった、こういうことであったわけです。ただ、今回の場合は説を曲げない、つまり信条であったということです。
古い話ですと倉石農林大臣とか小林法務大臣とか西村防衛庁長官とかいろいろあります。ですけれども、この方たちは全部辞任をしておられます。近くは中曽根内閣になってから平泉長官の問題とかあるいはまた渡辺通産大臣の毛針発言とかいろいろあったわけでございますけれども、このことは陳謝をなさった、こういうことであったわけです。ただ、今回の場合は説を曲げない、つまり信条であったということです。
七一年の小林法務大臣、閣僚は並び大名、予算はところてん。七一年の西村防衛庁長官、国連は田舎の信用組合、モルジブなんか土人国。原労働大臣、七二年一月ですが、養老院は我利我利亡者の集まり。いずれも憲法と国民を侮辱することでは甲乙つけがたいところですけれども、今回の伊藤防衛庁長官の発言は、その態度、言葉の低劣さからいってもこれまでの更迭大臣にまさるとも劣らないと私は考えるわけです。
これは四十六年一月、佐藤内閣当時の小林法務大臣の演説の一こまであります。 もちろん、本院で取り上げられ、私が二月九日、予算委員会においてその責任を追及いたしました。彼は即日詰め腹を切らされ、閣僚の座を追われました。しかし、当時はこれが天下党であった自民党の本音であり、実体であって、小林法務大臣は正直に演説しただけであるとも言われていました。
そこで、関連をするわけでありますが、かつて昭和四十三年倉石農林大臣が、いわゆる憲法問題に触れて、こんなばかばかしい憲法を持っている日本はめかけみたいなものだという発言、あるいは六十五国会で小林法務大臣が、昭和四十六年の一月十八日浜松で行った、並び大名、ところてんのように予算は通るのだという、この国会に対する侮辱ないしは国会軽視の発言、こういうものと比較をして判断をした場合に、今回の仮谷発言というものは
○稲葉(誠)委員 そこで法務大臣、前に小林法務大臣がいましたね。この人は昭和四十五年五月六日の衆議院の内閣委員会でこういうふうに言っているのですよ。監獄法の問題についての質問なんですが、「私は、実はうかつにして、就任後しばらくたってから監獄法というものがあることを知って、まことに驚嘆をいたした。いま監獄というものはありません。全部刑務所になっておる。
それから、監獄法の改正は小林法務大臣が次の国会と言ったのにいままで何をしていたのだという御趣旨の御質問です。これは、実は私、就任したのは去年の十二月ですから、それまで何をしていたかということはよくわからないのです。しかし、就任以来、局長の説明を聞き、私自身も勉強をして、これは早急に改正を要する法律である、したがって作業を進めていってもらいたい。
むしろ、大臣が決断をもって恩赦を与えて、そして、本当に何よりも大事な人間の命というものを——もう八十三、四歳という年でありますから、自然にほうっておいてもそう九十も百も生きないと思うのですが、自然に死ぬるを待つということではなしに、そういう占領中の事件で恩赦の運動も盛んに行われ、その中で一度は、小林法務大臣のときなんかは、赤松先生やあるいは神近先生なんかに、もう任しておけ、大丈夫だ、こういう話までされたということが
このときの新聞報道では、小林法務大臣も事前に知らなかった、石田長官ら最高裁全判事も知らなかった、極秘のうちに交渉が進められた、下田さんの最高裁入りはアメリカ政府筋の方に早く伝わってきた、そして裁判所の内部では、意外だ、おかしいというような声が渦巻いている。そしてある新聞は次のように報道しました。
小林法務大臣は、ことし中にやりますなんて答弁したのが昭和四十五年でありますから、現在まで至っているわけです。その作業がどうなっているのか、そしてなかなかまとまらぬのは一体どこに原因があるのか、ひとつその辺、大臣に御答弁いただきたい。
実は小林法務大臣のときも、これは断固やるということで、そのあとの法務大臣のときも同じような御答弁をいただいている。実はこれは刑法の改正に合わせるというようなことがあるのでしょう。
聞きしたわけではありませんし、また、応援に行かれて、自民党の有力な閣僚として、自民党の候補を応援するということは当然なことでありまして、全力を尽くされることは当然だと思っておりますが、ただ、私は、自治大臣の立場ということをお考えにならなければいかぬと思うのですけれども、その機会に——これは風評でありますので、風評であればはっきり御否定していただきたいと思うのでありますが、選挙になりますと、かつて、小林法務大臣
実は小林法務大臣の当時には、刑法改正を待たないで先に監獄法の改正をやるんだということで非常に一生懸命だったようですが、結局、いつの間にやらうやむやになってしまって、その次は、刑法改正と大体同時になるのじゃないかということになった。 ところが、いまの作業を見ておりますと、刑法改正のほうはもう法制審議会の総会審議が始まっておるということになっておるわけですね。
かっての小林法務大臣じゃないけれども、与党は、予算案さえつくっておけば、あとは寝てようとどうしようと、時間がきたらその法律は上がるんだという考え方が、言わず語らずのうちに与党議員の中にあるとすれば、私はこれは重大な問題だと思う。われわれだって、そんなあほなものの考え方の上に立って野党が質問をする、こういう条件の中で質問する責任はないと思いますよ。
四十六年の二月には、問題の小林法務大臣でございますけれども、これは議会制民主主義を根本的に否定するような発言をして、これも辞任されております。また昨年の暮れには、いま話があった西村防衛庁長官、これはもう国連に対して重大な関心が世界から寄せられておる最中に、国連無視の発言がただいまのようにあって、これまた罷免になっておるのであります。
その前の小林法務大臣も静岡選出で罷免になった。二度あることが三度あるとすれば、高見文部大臣も静岡選出でありますが、もっと失言を――罷免をされないような、佐藤内閣がつぶれても高見文部大臣は留任をさせたいというような失言をしなければいけませんよ。いまのような非常に消極的な――こういうことこそもっと失言をしてロマンチズムを出すくらいでないと、文部大臣の資格がない。
したがって、私としましては、例の昨年の公害国会のときに、当時の小林法務大臣が、そういうように毒物を流して汚染されて魚が死んだ、それがこの公害罪適用になるのだ。その魚を食べると健康に危険があるから、それが公害罪適用になるのだというふうに、小林法務大臣はきわめてはっきりと答弁をしているわけです。しかし、まあ、この公害罪そのものの施行が七月からだから、三月、五月に死んだのは入らないのだそうです。
この問題はたびたび国会でも取り上げられまして、昭和四十二年、当時の田中法務大臣と矯正局長が、早急にこれを改正したいという意向を明確にいたしまして、去年も私はこの内閣委員会で小林法務大臣にお尋ねをしたわけでありますが、小林法務大臣は、次の通常国会、つまりことしの春の国会までには改正案をまとめて提起をするんだ。
こういう点を考えていきますと、全体的な国民の考え方、またわれわれの考え方も、企業よりもいわゆる被害者のほう、また被害を出さないようにというような方向に世論も向かっていっておる、こういうふうに考えるわけですけれども、そういう中にあって、以前に小林法務大臣は、この公害罪法は歯どめになるんだということでこの法律を出すということだったわけですけれども、私たちの考えではあまり歯どめになっていないということで、
○沖本委員 それでは時間もありませんから、大臣にこの前の小林法務大臣当時の問題で、大学入試不正事件でお伺いしておったわけですけれども、結論からいきますと、この事件が起きた原因なるものは絶対的な定数が足りないということ、定数自体が不足で防ぎ切れない、こういうものが一つ出ております。
前小林法務大臣も、この法律をつくるときには、歯どめになるのだということを盛んにおっしゃっていたわけです。これは歯どめなんだということで、「おそれ」を除いて歯どめになるかという論争が非常にあったわけです。
また適材適所とおっしゃいますけれども、この前の小林法務大臣、西郷法務大臣を考えました場合、どう考えても適材とは言えないと思います。 時間がございませんので、最後の一問でございますが、いま最高裁を中心に、法秩序の維持ということが非常に大きな国民的課題となっております。力にかわる法の支配、これが私は民主国家の大前提だと思います。